【犯罪心理学】犯罪者とラベリング – 誤解を招く偏見イメージ

ニュースでですね、犯罪心理学者の准教授、路上で殺人というような紹介がなされていました。

犯罪心理学についてちょっと関心が出てきそうですので記事にします

犯罪心理学と一般の人たちが言うときに、その認識として誤解を招きやすいため紹介しておかねばなりません。

(学問体系とか、研究領域にどうこういうつもりではないです)

犯罪心理学というと、どうしても犯罪者の特殊性のイメージが先行しています。

あたかも犯罪者は私たちとは違う心理が働いている、それを解明しなければみたいなイメージを一般の人は持っているのではないでしょうか。

犯罪が発生したときにまず多くの人が抱くのはどうして犯罪なんてしてしまったんだという犯罪に至るまでの精神状態です。犯罪の動機形成のプロセスがなによりも関心事かと思います

被害者は言います。どうして娘は死ななければならなかったのか真実を知りたいと、その真実と言うのはすなわち犯人の犯罪動機に帰着するわけです

そうすると、みな犯罪者はどうして犯罪を犯すのかということになります。

一方、犯罪に対する科学的研究も薦められていますがこれについても犯罪者の脳には異常な反応があるとか、そもそもつくりが異なるといったデータを出したりします

こうした研究も有益なのですが、問題は

犯罪原因を個人の遺伝子求めようとする点です

こうした研究の行きつく先が、犯罪者の矯正という方向に進むからです。

遺伝子的に少数というだけでマイノリティのレッテルを貼り多数派で造られた社会から排除することになります。これはひとりひとりが無意識でも自動的に働く作用です

  • 犯罪というものが社会的な行為であること
  • 犯罪に繋がり得る要素があることと犯罪行為に至ることは別問題ということ
  • そもそも誰もが犯罪を犯し得るし犯罪者になり得るということ

こうした視点は抜け落ちてしまいます。誰もが潜在的に犯罪を犯し得るのであって、その引き金は社会との付き合いの中にあります。

最終的なブレーキをかけているのは本人だという点は、たしかにそうなのですが、

それは正常な判断能力ができていることやその先に経済的あるいは社会的に不利益があるから止められるのであり、

判断ができなくなった時に罪を犯し、判断ができなくなる原因は社会との繋がりに求められるのです。

その意味で、犯罪者にいわゆる矯正というような概念はほぼないです。 社会との付き合い方を替えたり学んだりといった対策はあるのですが…

(とくに正しさというものがあいまいである以上、間違った道から正しい道に戻すというような考え方はないです。)

たとえば、 進化心理学の世界では、人間殺人の妄想は進化戦略であり、人は殺しが好きだから頂点捕食者になった と考えられてたりします。

人間はだれでも殺人の想像をします。一度は大小ありますがだれかを殺したいという気持ちになったことがあるかもしれません。

私たちと殺す行為は、食事といった生理的なところから、映画、アニメ、ゲーム、こういった娯楽でもありますし、対象が人でなければ平気で殺し、そこにあまり関心が無かったりします。

それだけ、殺害という行為は人間にとってとても身近であり自然なことです。

ほかにも、1993年アリゾナ州立大学ダグラス・ケンリックとヴァージル・シーツの調査によると、男性の73%女性の66%が殺人の妄想を考えたことがあると答えています。

犯罪者は私たちとはちがう異質な存在なのでしょうか?

たとえば、犯罪者が脳に異常があり、遺伝的に根っからの犯罪者であれば、私たちが禁酒や禁煙ができないように、犯罪が一度で終わることがないはずです。

犯罪心理学者マリーケ・リームによる2013年発表レビュー論文によると特定の累犯率、すなわち殺人後に別の殺人を犯すという再犯率は1~3%でした。

そして

クレイグ・ヘイニーらの研究によれば、人は、犯罪行為であるとよく分かっていても置かれた状況しだいで犯罪行為に至ると言われています。

1973年ヘイニー・クレイグらの実験では

21人の男性に2週間、囚人と看守の役割を与え観察しました。

刑務所機能も忠実に設計され、刑務所環境における対人関係を調べました。

すると、おそろしいことが起きます。

看守はたった数時間で囚人にハラスメントを始め、
午前2時に笛を吹き囚人を起こし侮辱したり、体罰といって衣服を脱がし、頭に袋を被せ、腕立てをさせたりしました。

囚人は正気を失い、食事を拒むようになり、抑うつ、無力感を特徴とする症状が現れ

なんと、実験はたった6日で中止となったのです。

また、ミルグラム実験という、

ナチスの親衛隊将校アドルフ・アイヒマンがユダヤ人を大量殺人について、私たちはただ仕事をしただけだと述べたことも裏付けた実験もあります。

これは、教師役と生徒役の二つのグループにわかれ、

生徒は電気いすに座り単語を思い出すテストをします。

これに間違えると教師は、電気ショックを与えるように実験者から指示を受けました。

強度は15ボルトから450ボルトまでで、スイッチには危険を表す注意書きがかかれていました。

途中、生徒は電気ショックの罰に抗議したのですが、それにもかかわらず

全ての教師が300ボルト近くのショックを与え、最大電圧であった450ボルト与えたのはなんと、教師役40人中26人と半分以上の者でした。

もちろん被験者の属性は幅広く、年齢も20~60代、なかには博士号取得の者もいたのです。

実験では、明らかに人間の命を奪う指示であるにも関わらず、多くの者がこの指示に従った

それも、仕事だからという理由で。

戦争などのようなきわめて特殊な状況ではなく、ごく普通の状況でも、権威者に指示されれば、たとえ良心に反していることが明らかであっても人間は指示に従うということが示されました。

人は環境しだいで、相手が人間であるということをいとも簡単に忘れるものなのです。

なかなかショッキングなお話だったかもしれないので、このくらいにしておきます。

もちろん、脳機能の障害や犯罪と遺伝といいう点の関係が示されつつあります。しかし、それはきわめて稀です。

ほぼすべての犯罪は、あなたと同じような人があなたと同じような人とのどこにでもあるありふれたいさかいから発展して発生しているのです。

社会のあり方を考え構築していく上では、こうした事実を認識しておくと良いかもしれません。