過失の共同正犯

過失の共同正犯を認められるか

まず、行為共同説からは肯定されます。

これは、行為を共同する意思があればよいため、過失行為であっても問題になりません

次に、犯罪共同説からは否定されます。

犯罪共同説は、ひとつの犯罪を実現することが共同正犯の本質なので、過失犯の意思連絡が無い限り、共同正犯はあり得ないということになるのです。

ただ、これに対して、

たしかに、犯罪結果に対する行為の意思連絡はないかもしれませんが、

過失行為についての意思連絡はあるじゃないですか。(多くの場合)

それで、いまでは、「同一の過失行為を共同して行う」という風に認めることができると考えられるようになっていったわけです。

こうして、

過失の共同正犯とは、共同の注意義務に対する共同の違反である」として、犯罪共同説からも肯定することができるのです。

過失の共同正犯を認めないが、無罪とはしない構成

ふたりが、トーチランプの不始末をしなかったために失火を招いたような事例がありました。

トーチランプの不始末をふたりともしなかったために失火を招いたような場合、

結局、どちらかの火が燃え移ったはずなので、ふたりとも無罪となるのは妥当ではない

という主張が考えられます。

たしかに、どちらかの火が原因なんだ!という択一的な認識が、一般的な感覚ではないでしょうか。

そこで、過失の共同正犯ではないが、過失の範囲で処理する構成というのがあります(実質的不要論からの同時犯解消説)

「各人が互いにほかの行為者に対して結果が生じないように監視、警告する義務を負っているだから、

この監視義務に違反した過失の同時犯として処罰するべきだ」

というもの

自分の注意義務違反か、ほかの行為者への監視、警告義務違反のいずれかから結果が生じたので、択一的認定とします。

したがって、どちらか一方の義務違反から結果が発生したことが分かれば処罰できます

残された問題点など

たしかに、監督過失などのように、ほかの行為者の過失行為の防止に向けた行為を注意義務の内容とすることができます。

過失行為の実行行為がゆるやかであり、他人の行為からも結果が生じないようにする義務を認めることができそうです。

ところが、監督過失のような場面では、「上下関係、支配関係」があります

同等の立場の者どうしではそこまでの義務があるものと考えるのはむずかしいのです実際そうでしょ?

処罰範囲も拡げることになりますから

そうすると、実質的に排他的支配にあるといえるような状況が必要になるため

不作為犯のときのような保証人的地位の理屈が妥当するか問題になります。

そして、そもそもなんですけど、

監視、警告あるいは管理義務違反のような監督過失と、直接過失が、ほんとうに択一関係と言ってよいのでしょうか?

結果からみれば択一かもですが、それでは結果ありきであって刑法の理としては不十分なのです。