原因において自由な行為の理論とは?分かりやすく解説

今回は「原因において自由な行為」という理論についてです。

少しマイナーなところかもしれませんが、刑法を考える上では非常に大切です。

※スマートフォンの方は横画面にしていただくと読みやすいかもしれません。

原因において自由な行為の理論とは?

「原因において自由な行為」とは、自分自身を責任の無い状態に陥れ、その状態で犯罪行為を行い、結果を生じさせることをいいます。

自己を責任無能力又は限定責任能力の状態に陥れその状態で行為を行い、結果を生じさせること

このような「責任能力」が無い状態の犯行であっても、判断能力がなくなった「原因」を自らが作り出した時は、完全な責任を問うべきであるという理論を原因において自由な行為の理論と呼ぶことがあります。

「完全な責任を問う」というのは、刑法39条の心神喪失の行為を罰しない・心神耗弱者の行為を軽くするという規定を適用しないということです。

原因において自由な行為の「原因」とは何か?

自身を責任能力のない状態に陥れることを、「原因行為」といい、

その状態で犯罪結果を生じさせることを「結果行為」といいます。

そのため、「原因」というのは、「飲酒」や「薬物乱用」のことで、「原因行為」は、飲酒行為、薬物摂取行為となります。

原因行為をするとき私たちは、飲酒や薬物使用を控える自由が誰にでもあります。

それでもなお、あえて飲酒や薬物乱用を行っているので、犯罪の結果について責任を問うべきというのは自然な感情かと思います。

行為、責任同時存在の原則

本来、責任を問うためには、行為を行った時に判断能力あることが必要です。

そのため、精神障害、酩酊状態にあるときは判断能力がないため、行為を行っても責任が無いことになります。

そうすると、覚せい剤や飲酒によって暴力をふるうなど処罰しなければならない行為に犯罪が成立しないのはおかしなことです。

犯罪の結果を引き起こしてしまった場合、処罰を求めるのが、国民の感情で、なんとか責任を問えないか?というところから

このような事態に対応するべく、「責任を問える状態」だったのであれば、処罰を認めるという理論となります。

責任と判断能力

そもそも、刑法では、正常な判断ができないような状態にあると、責任を問えません。

たとえ、犯罪が成立していたとしても、処罰ができないようになっています

(刑法38条)

≫※精神疾患と責任能力については『精神疾患と責任能力』

たとえば、「精神疾患、薬物使用や飲酒による酩酊」です。

飲酒や薬物で判断できなくなって、犯罪を犯し、処罰されないというのでは妥当ではありません。

そのため、処罰するための理論構成が必要でした。そこで、この「原因において自由な行為理論」を導き出しています

判例(最決昭和28.12.24、最決昭和43.2.27)でも、「原因において自由な行為」の理論の成立を認めています

ただし、その理論構成をいかに組み立てるかははっきりしていません。

原因において自由な行為の理論構成

原因において自由な行為の理論構成には3つあります。

伝統的な見解は、

間接正犯の場合と同様に、責任能力が無くなった自己を道具として利用する原因行為が実行行為であるとして、実行行為の時点において責任能力が存在しなければならないという立場

これを「間接正犯類似説」と呼びます。

これに対して、もう一方の見解は

あくまでも結果行為が実行行為であるとして、実行行為と責任能力が同時に存在する必要はなく、責任能力は行為の最終意思決定の時点に存在すれば足りるとする立場

これを「責任モデル」と呼びます。

もうひとつの見解が、

未遂犯の成立に必要な危険は、原因行為について認められる必要はなく、相当な危険が認められる原因行為が実行行為であるとして、それと結果行為・結果の間に因果関係があり、原因行為の時点に責任能力があれば足りるとする見解です。

これを「構成要件モデル」と呼びます。

実行行為とどこの段階で責任能力が必要なのかという点に違いがあります。

精神疾患者の判断能力

原因において自由な行為の理論では、判断能力のある状態で、判断能力を衰退させる行為を行うことを問題視しています。

そのため、すべての薬物使用・飲酒行為に対して原因において自由な行為として39条の適用を排除することについては慎重であるべきではないかと考えられます。

すなわち、もともと判断能力が鈍いまま薬物使用・飲酒行為を行うという可能性が示唆されています。

精神疾患のある人は、そうでない人に比べ、そもそも薬物に手を出してしまいやすい」という研究データもあります。

飲酒や薬物使用の場合、責任を問われるわけですが、精神疾患のある人が薬物に手を出してしまい犯罪を犯した場合、処罰するというのは酷では?という問題意識を投げかけます。

2015年のラグナー・ネスボーグの研究(Substance use disorders in schizophrenia, bipolar disorder, and depressive illness: a registry-based study)
うつ病や統合失調症などを患う人は薬物使用や深い飲酒をしてしまう傾向が高い。

そもそも、精神疾患そのものに大きな問題があり、これが「原因行為」に繋がりやすくなっています。

根本的な問題は何かという本質的な問いに迫られます。

精神疾患を引き起こしてしまう原因とは?という点です。

これはたとえば、貧困、虐待、暴力、愛情不足などが諸悪の根源ではないかと推察されます

もちろん、これと裁判(法律論)は異なりますし、

事実認定や量刑・執行猶予や保護処分などでバランスをとることもできます。

ただ、不確実な裁量ではなく、精神障害で苦しむ方の権利保護を「法」として確立したいところです。

精神疾患者と周囲の関わり

また、後天的に引き起こされる精神疾患というものはきわめて社会的なものです。

周囲の偏見や受け止め方、関わり方に大きく左右されます。

「精神病者への風当たりはわりと強い」ということが言えそうです。

以下の研究では、精神疾患の人への偏見は根強いことが確認されています。

「統合失調症やうつ病の人と同じ空間に居たくない」と感じる人が多く、偏見は根強く残っている。
) (2017年ジュリア・ソウィスローらの研究

かりに、家族やパートナーなど、具体的に頼れる人がいるとしても、社会一般の理解や助けは乏しい状況にあると言えます

すなわち、精神疾患においては、周囲など社会的つながりの中でのストレスから精神を病みます

さらに、精神を病んだ状態から周囲の偏見や受け止め方によって、追い打ちをかけられるように、二度殺されます。

そして、最終的に自己嫌悪となり自ら否定し、三度目の刃を刺すことになります。

精神疾患者は、自由な意思決定ができているのか?

上記の研究結果をみると、

本当に“十分な判断能力や自由な意思決定のできる状況 ” で「原因行為」に及んだのか?という点に疑問が残ります。

また、薬物というのは流通が規制されています。そのため、健康な一般人は、基本的に手に入りません。

一方、こころの弱った人にとってはカンタンに売ることができるので狙われやすく裏社会と結びつきます。

もし、薬物を服用し、暴力などの犯罪を犯しその犯罪行為時に、故意(未必の故意)があったとしても、その故意は、非常に追い込まれた状況のもとに生まれたものかもしれません。

追い込んだのは彼らの近くに居る人たち家族や友人、会社の同僚、上司、取引先である可能性が非常に高いわけです。

原因行為の意思決定

一方、薬物乱用をしたことそのものだけではなく、精神状態も当然重要なファクターです。

以下の論文をみると、あらゆる事情を考慮し原因行為の審査には慎重でなければならないかもしれません。

真に自由な意思決定状況での原因作出のみ処罰すべきなのでしょう。

シーナ・ファゼルのレビュー論文

精神疾患と暴力系犯罪や殺人との結びつきは、たしかに強い。
しかし、どうやら、それは薬物乱用とあいまってその傾向が高いのではないかと考えられる。
(Schizophrenia and Violence: Systematic Review and Meta-Analysis)

原因において自由な行為理論は、「責任」の検討です。

したがって、犯罪を招いた者の事情をよく検討しなければならないはずです。

たしかに、「どのような経緯で原因行為に至ったのか」ということを掴むのは難しいかもしれません。

しかし、精神疾患者や薬物利用者の「詳細な状況確認」とそれについての「科学的な考察」は欠かせないと思います。

その上での法律判断が求められます。

原因において自由な行為理論は間違いなく必要な法理ではあるのですが、その認定は、慎重に行うべきことに注意です。

ということで、最後まで、お読みいただきありがとうございました。

参考文献