泉佐野事件とは?集会の自由わかりやすく判例解説

今回は、集会の自由と泉佐野事件の基準についてです。

三段階審査が普及しているからでしょうか、条例の文言解釈の憲法問題は苦手な人が多いイメージがあります。

※一文が長くなるため、「スマートフォンの方は横画面」の方が読みやすいかと思います。

集会の自由とは?

「集会の自由」とは、多数人が共通の目的をもって集まることです。

憲法21条で規定され、表現の自由のひとつのカタチとして集会の自由が保障されています。

他者の権利と衝突する可能性が高い行為となるため、条例などで管理者による規制がなされていることがよくあります。

そのため、条例との抵触がよく問題となるのです。

集会は、国民が様々な意見や情報等に接することにより自己の思想や人格を形成、発展させ、また、相互に違憲や情報等を伝達、勾留する場として必要であり、さらに、対外的に意見を表明するための有効な手段であるから、憲法二十一条一項の保障する集会の自由は、民主主義社会における重要な基本的人権のひとつとして特に尊重されなければならない。」
(成田新法事件最大判平成4.7.1)

泉佐野事件の事案とは?

市民会館の使用許可を申請したところ、不許可処分をされ、この取消を求めたという事案

公共施設は管理権者がいますので許可を受けなければ使用できません。

これ自体は問題ないはずです。

しかし、使用許可は、管理権者の自由な判断で行われるのでしょうか

そうではなく、集会を開くことは憲法で保障された権利であるから、許可といっても原則として、許され必要最小限で不許可とすることができるにすぎないはず

ここに制約があります。

これが、不許可とすることができる根拠「正当な理由がないかぎり、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」(地方自治法244条2項3項)の趣旨です。

さて、ここまでの流れはこんなかんじ

1.原則として公共施設の使用が認められる。

2.管理者が、正当な理由なく利用を拒否するとき、集会の自由が制約され得る。

3.公共施設の使用を拒否することは、過剰な制約ではないのかを審査する。

集会の自由を実質的に否定することにならないかを検討していくことになります。

この際、管理者は公共施設の使命を達成できるように、適正に管理権を行使すべき立場です。

じつは、判例の考え方には、一段階の検討が隠れていて、二階構造になっています。

・ 施設の使用を拒否する相当な理由があるか?

・ 施設の使用を不相当とする事由がない場合でも、拒否することができるのは、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限る

泉佐野事件判例の判断基準とは?

「泉佐野市民会館事件」( 最判平7年3月7日民集 第49巻3号687頁)では、憲法ではお馴染みの「限定解釈」をしています。

» 

これは、なるべく、合憲として残すためです。

地方自治法の適用の問題だからです。

これ自体はそれほど問題ではなく、その限定のしかたがとても厳しいということがポイントです。

限定解釈をしているものの、制約はまずできないということです。

結論では、集会の自由を制限しているのですが、規範としてはまず制限できないとしていて、それほどまでに集会の自由は重要な権利であるということを示しているのです。

泉佐野事件の結論

まず、本件の結論としては、不許可処分は違憲ではないとしました。

つまり、集会の自由を制限しました。

正当な理由があるから集会の自由を制約する地方自治法に基づく不許可処分は違法ではないとのこと

しかし、注意するべきことは、特殊な事案だったということです。

基本的には集会の自由は認められると思っておいた方がいいです。

21条はめちゃくちゃ、強いんでまず制限されないと思った方がいいかなとおもいます

はっきりいって試験で出る程度の事案ならば迷うこともなく違憲となるはずです。

泉佐野事件の背景

泉佐野事件は、かなり特殊な状況でした。

・ 連続爆破事件を起こすなどした過激な活動組織

・ 昭和59年3月1日、東京の新東京国際空港公団本部ビルに対し、付近の高速道路から火炎放射器様のもので火を噴き付けた

・ 同年4月4日、大阪市内の科学技術センター(関西新空港対策室が所在)及び大阪府庁に対し、時限発火装置による連続爆破や放火

・ 「わが革命軍は、必要ならば百回でも二百回でもゲリラ攻撃を敢行し、新空港建設計画をズタズタにするであろう。」との決意を表明をした

・ 申請は、集会参加予定人員を三〇〇名としており、虚偽であった。

・ 機関紙によれば二六〇〇名が結集したと報じられ、少なくとも約一〇〇〇名の参加があった。

ということでした。なかなかハードです。

泉佐野事件の憲法上のポイント

本件の憲法上のポイントは、やはり限定解釈をしたことです。

限定解釈をした理由は、集会の自由の強さにあります

集会の自由は強い権利のため、管理者による制約は最小限になり原則は施設の使用が認められるのです。

正当な理由を限定的に解釈するために、その理由として、「侵害が発生する危険性が現実的に起こりそうであること」を求めたのでした。

侵害発生の危険性の程度

「集会の自由の重要性」と「侵害される権利の内容や侵害発生の危険性の程度」を衡量して、

条例の文言である、『公の秩序をみだすおそれがある場合』(条例7条1号)とは、

集会の自由の重要性よりも、集会によって生命、身体又は財産が侵害され公共の安全が損なわれる危険を回避し防止することの必要性が優越する場合をいう

そして、その「危険性の程度」は明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である。

「公の秩序をみだすおそれがある場合」とは、右会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、右会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である。

ということで、かなり危ない人を抑えようとしていることがわかります。

それで、泉佐野事件の事案をみると、

たしかになあとわかるのではないかと思います。

先ほども申し上げましたが、基本的には集会の自由は認められると思っておいた方がいいです。

上位答案でも簡単に対立利益を認めていたりするのでうーんと思うこともありますが

最低限、判決文は全部読んでからかなと個人的には思ったりします。

ということで、お読みいただきありがとうございました。