【岐阜県青少年保護育成条例事件】わかりやすく読み解く「性表現」と「表現の自由」

・司法試験受験
・公務員試験受験生

こういった方に向けて。

重要な判例である「岐阜県青少年保護育成条例事件」(最判平成元.9.19)をなるべくわかりやすく検討していきます

※よく似た判例に「福岡県青少年保護育成条例事件」がありますが別物です。(リンク参照)

この判例はかなり問題ありな判例でした。

性表現について、裁判所は深く立ち入って検討しませんでした。

「岐阜県青少年保護育成条例事件」の結論

裁判所としての結論は、青少年に有害である図書を禁止する法令は憲法に違反しないとしています。

理由は、「チャタレー事件」、「悪徳の栄え事件」、「福岡県青少年保護育成条例事件」を引っ張ってきて、「3つの判例の趣旨に徴し明らかである」としています。

もちろん理由になっていません。そもそも、いずれも青少年に有害とされた図書の規制に関する事例ではないので先例ではありません。

何も判断していないのですが、逆に言えば、結論としての価値判断が先行してて理由はうまくつけられないということです。

チャタレー事件の趣旨とは?

まず、チャタレー事件というのは、わいせつとは何か?を示した判例です。

「徒に性欲を興奮し又は刺激せしめ…」というものです。

ここではわいせつ文書頒布を禁止した趣旨は、「最小限度の範囲で性道徳における社会秩序を維持するため」でした。

悪徳の栄え事件の趣旨とは?

次に、悪徳の栄え事件も、だいたい同じでした

芸術文書でも処罰される趣旨は、「性生活の秩序維持により国民生活の利益を図るため」だとしています。

福岡県青少年保護育成条例事件の趣旨とは?

さいごに、福岡県条例事件です。
これは、淫行について定めた規定が漠然不明確ではないか?処罰範囲が広汎にすぎないか?が問題になりました。

各規定の趣旨は、「青少年の育成を阻害するおそれのあるものとして社会通念上非難を受けるべき性質のものを禁止すること」としています。

いずれも先例ではないのですが、以上の趣旨を拾ったとしても、知る自由を制限してよい理由がわかりません。

青少年にとって有害な図書はなぜ禁止されるのか?

有害図書は、ほぼポルノ雑誌のことです。昔は、「雑誌の自動販売機」があってそこに、ポルノ雑誌もいっしょに並んでいたものです。

コンビニも成人誌がなくなりつつありますね。いつの間にか、本の自動販売機もなくなっていきました

反対に「白ポスト」といって、有害図書を入れるポストが、田舎の方では駅に置いてたりします。

岐阜県の条例で、ポルノ雑誌を「本の自動販売機」に並べることを、刑罰をもって禁止されていました。

被告人は、自動販売機にポルノ雑誌を収納して販売したので起訴されました。

そこで、表現の自由の侵害であると言って問題になったのです。

問題の所在とは?

被告人は、販売業者でしたので、「流通過程における条例の萎縮効果」がはたらきます。

その結果、青少年の知る自由としての表現の自由を侵害することになるのではないか?という問題意識になります。

販売できなくなることに伴って、受け手の自由を侵害するということですね。

※「何を売るか?」が論点なので経済的自由は不可です。

「岐阜県青少年保護育成条例事件」判決の問題点

本判決の問題点はいくつかありますが、大きくは以下

1.「なぜ、規制しなければ、健全な育成や秩序を維持できなくなるのか?」

2.「審査基準が明確ではない」

3.「性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長につながる」は偏見

4.「青少年の健全な育成に有害であることは社会共通の認識になっている」は根拠がない

5.「自動販売機は対面しないため心理的に購入が容易で、街頭にあると購入意欲を刺激しやすいため弊害が大きい」は流通過程の認知部分

1.「なぜ、規制をしなければ、健全な育成や秩序を維持できなくなるのか?」

この理由は明らかにされてません。手段としての妥当性が検証できないことは大きな問題です。

2.「審査基準が明確ではない」

これは言わなくてもですが、審査基準は明確にされていません。まだまだというところです

3..「性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長につながる」といっています。

これは単なる偏見です。「性的な逸脱」というものが性的嗜好を言いたいならそれはまずありえません。

「性的嗜好」というのは非常に多様です。
多くの人にとって信じがたい性的嗜好というのも、それがただ単に「とてつもなくマイノリティである」というだけです

客観的に身体に現実的な危険のある行為なら、もはやただの暴力行為です。

互いに嗜好する者による同意であれば問題なく、
逆に、圧倒的多数が認める性的嗜好による性行為であっても相手方の同意がなかったり、相手方の法益を侵害することが当然あります。

性的な逸脱行為や残虐な行為というものは性に関してありません。

性道徳に反すると言われても、圧倒的多数の性的嗜好が作り上げた性道徳であり、偏見というほかなく説得力に欠けます。

それから、全ての性的嗜好は後天的なものですので、残虐なものだけが助長されるというのも分かりません。

≫この辺りの科学的なデータはこちらの本がやさしくまとめてくれています。

4.「青少年の健全な育成に有害であることは社会共通の認識になっている」

ここには根拠がありません。

たとえば、民法ででてくる社会通念というのは、「取引通念、商慣習」をベースにしています。客観的ですし、サンプルがあります。

安易に社会認識を使うことは司法権の態度として問題です。

裁判資料にデータが出てきていたら、自由心証で処理できますが、それでも、認識ではなく「事実」すなわち、データの正当性を精査しなければなりません。

5.「自動販売機は対面しないため心理的に購入が容易で、街頭にあると購入意欲を刺激しやすいため弊害が大きい」

これは、間違いです。どちらも流通過程にある以上、認知の部分であり同質です。
こういった、心理的にとか、意欲とか見えない曖昧なものを根拠にはできません。

むしろ、図書自動販売機の方が、本屋の店頭に比べて遭遇する回数が圧倒的に少なく購入するつもりで買いに行ってます。

もし、偶然に図書自動販売機に遭遇した場合と、コンビニや書店でポルノ誌と遭遇した場合、どちらが購入意欲が高いか?
状況が違い過ぎてわかりません。

店頭では、およそ何らかの購買意思を持っており、書店ではとくに書籍に関して購買意思を持っています。

偶然、自動販売機をみつけても素通りすることが多い気がします。

伊藤裁判官補足意見

なお一応、伊藤裁判官の補足意見があるのですが、これも…です。

審査基準について、「青少年の表現の自由の保障の程度は成人に比して低い」としています。

理由として、「判断能力が未熟であるがゆえのパターナリズム」を持ち出しています

言いたいことはわからなくもないです

しかし、「未熟な青少年だからこそ、あらゆる情報にアクセスし、自己の人格形成を磨くべきである」とも言えます。

この理は、知る自由を強く保障する方向にはたらく理屈ではないですか?

なぜここまで批判されるか?

表現の自由を緩やかに解してよい理由ですから、もっと合理的で説得力のある説明が求められます。

パターナリズムで制限するのであれば、どのようにどれくらい有害なのか?

これを明確に説明できないのであれば、規制は恣意的な運用と変わりません。

さらに、科学的には、「本当に有害なのか?」大きく問題視されています。

ポルノは、本当に青少年に悪影響を与えるのか?

Milton Diamond,1999の研究によると、答えはNOです。

この研究は、日本におけるポルノに触れる機会の増加と、レイプ、性的暴行、および公共わいせつの発生率との関係について、1972-95年に収集されたデータを使用して調べられました

すると、ポルノの数と接触機会の増加と相関して少年の性犯罪は減少していきました。

性犯罪の減少には様々な社会的要因があることはだれでもたやすく想像できるかと思いますが、それにもかかわらず、はっきりと負の相関が認められたことはとても重要です。

また、マヒドン大学のウィナイ・ウォンスラワットの研究によると

ポルノの消費・性的なメディアの増加は、性犯罪の低下につながっていることがわかっています。

判例はわりとすぐ、社会秩序とか社会通念とかを持ち出します

しかし、やはり表現の自由への規制は、可能な限り厳格に捉えていく姿勢が必要なのではないかと思います。