【初心者向け】憲法改正の限界説・無限界説と違い【わかりやすく解説】

・司法試験受験生の方
・国家公務員試験を受験される方
・行政書士試験を受験される方
・法学部の方

「憲法の限界説、無限界説ってなんだろう。
教科書はむずかしいことばが並べられていてよくわからない」

こういった方たちの疑問に答えます

本記事内容

□ 憲法改正「限界説」とは何か

□ 明治憲法の改正はどう考える?

□ 憲法改正「無限界説」とか何か

□ 国民投票制は廃止できる?

まずは、限界という意味の確認をします。

「限界がある」というのは、改正じたいができるとしても、場合によっては許されない改正もあるという意味
「限界がない」というのは、いかなる改正もできるという意味となります。

したがって、限界説を採るか、無限界説を採るかという論点は、内容として許されない改正もあるのかどうか?という点が問題の所在です。

1.憲法改正【限界説】

限界説は、「改正の内容しだいでは、改正を認めない」という立場です。
これは、憲法を制定する権限の主体、基本的原理は、改正する権限の限界を示すものである、という考え方。

憲法制定権限の主体は国民で、基本的原理は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」なので、これらを変更するような改正はできないことになります。

つまり、ここが「限界」=「水際」となります。こちらによると、憲法の「制定権」と「改正権」を区別され、同時に、限界を画する基準である!という事になります。

 

憲法制定権の主体 ⇒ 改正できない
 
基本的原理 ⇒ 改正できない
 

「制憲権」と「改正権」

「制憲権」とは、憲法を制定する権限のことで、国民主権を指します。
改正も、国民主権という制憲権に基づいて、改正が行われますので、結局、改正権は、憲法を根拠としていることになります。

そうすると、憲法を根拠とすることになる以上、いまの憲法の同質性を失わせる改正はできないわけです。
改正する前の憲法と異なる憲法が改正によってできあがることは認められません。

改正権の根拠は憲法で、憲法には制憲権があります。制憲権は国民主権なので、国民主権に基づき改正が行われることになる。

そうすると、改正権自身の存立基盤として自分を成り立たせている「制憲権」(= 国民主権)を改変することなどできないという帰結ですね。

憲法の基本原理に関する内容は変更することもできないということで、これを「制度化された制憲権」ともいいます。

たまに、「子が親を殺すことができない」というようなたとえがされますが、あれは「過去の自分の親を殺すと今の自分の存在がなくなる」というタイムトラベル的な考えです。

無 ⇒ 制憲権による現行憲法 ⇒ 現行憲法による改正権 ⇒ 現行憲法を変える ⇒ ???というわけです。

明治憲法から日本国憲法への改正は何だったのか?

では、限界説で考えると、明治憲法から日本国憲法への変化はどう説明すればいいでしょうか?

「天皇主権」という根本原理を「国民主権」へと改変しています。
限界説からは、憲法改正とは言えません。
したがって、限界説では説明できないことをしているという矛盾になるわけですね

そこで、明治憲法から日本国憲法への変化は、ポツダム宣言による「八月革命」と説明されます

すなわち、基本原理の変更は憲法改正では不可能であるから、ポツダム宣言受諾により、天皇制が否定されたという「一種の革命」を認めるという考え方です。
きわめて例外な事件であったということができます。

無限界説

これに対して、無限界説では、「いかなる改正もすることができる」というものです。
制定権と改正権は結局、同じものであるから同質と考え、手続きを踏めば、どのような内容も改正可能です。

理由としては、憲法も社会的事情を基礎として存在するため、その基礎となっている社会に変化があれば、法を変化する!というもの。
この考え方でいけば、明治憲法から日本国憲法への改正も問題なく認められそうです。

両説の違いは、「改正内容」に直結するわけですから、理論上は極めて重要な論点になります

国民投票制は廃止できるか?

では、改正として、国民投票制を廃止することはできるでしょうか?
こたえは、Noです。

さて、憲法改正の文脈でいう「主権」とは、憲法制定権です。

憲法制定権が国民にあることを国民主権といいますが、国民主権とは、憲法の基本原理です。

したがって、憲法制定権を国民から奪うことは許されません。

国民投票制は、憲法制定権を具体化したもので国民主権の現れですから、廃止すると、基本原理に変更を加えることとなり許されません。

そもそも、なぜ改正するのか?

なぜ憲法は改正するのでしょうか?
よく、憲法が時代に合わないからだといいます。間違いではなさそうな気もします。

憲法に記された価値観と、現実世界の価値観のズレには、ふたつの意味があります。

「法社会学的な意味」と「法解釈学的な意味」です。

「法社会学的な意味」とは、憲法の規範の内容と憲法状態がズレているという事実を指します。

「法解釈学的な意味」とは、法社会学的な意味のズレを認めた上で、新しい憲法規範が成立していることを指し、違憲判断が示されたときです。

もし、違憲判断が示されたら、規範を改正したのと同じ効果を生じるのでしょうか?

これを認めれば事実上改正がなされ、後を追うように規範の改正がされることになるでしょう。

ところが、違憲という現実は、あくまでも「事実」であって、そこに法的性質はありません。
必ずしも憲法と現実を対応している必要はないわけです。

憲法は、いかなる時代のいかなる状況でも妥当する普遍的な価値を希求していますので、そのような価値観に変化が無ければ改正にはならないのです。