過失犯の共同正犯とは?わかりやすく解説【判例あり】

法律は一文が長くなります。スマートフォンの方は横画面にしていただくと読みやすいかもしれません。

今回は、共犯の諸問題のうちのひとつである「過失犯の共同正犯」についてです。

地味なところですが意外とむずかしいなと感じております。

過失犯の共同正犯とは?

過失犯の共同正犯とは、共同して一定の不注意な行為を行い結果を引き起こすことを言います。

これがみとめられると、全員が共同正犯としての罪責を負うことになります。

過失犯の共同正犯の論点とは?

過失犯の共同正犯の論点は、体系的にいうと、因果関係です。

それぞれの行為のうち、だれの行為が原因で結果が発生したのか分からない場合でも結果が発生していたら、だれかの行為が原因です。

本来は、因果関係が認められないため犯罪不成立ですが、結果が発生しているので問題がありそうです。

そうだ、まとめてしまおう。

ということで、過失犯の共同正犯が肯定される場合、結果を全員に負わせます。

判例は肯定していますが、理屈の上ではどちらもありかなと思います。

過失犯の共同正犯のポイントとは?

過失の共同正犯のポイントは、「意思の連絡があると言えるのか?」です。

通常の感覚からすると、過失行為を共同して行う意思は無いはずですが

過失の共同正犯を肯定する場合、

共同正犯は、「不注意な行為を共同して行う心情が共同して実行する意思」で成立するという理由になります。

この行為がどうなるとかこまかいことは抜きにして、ざっくりと行為自体を共同して行うことさえ認識していればよいことになります。

これに対して、過失犯の共同正犯を否定する場合、

共同正犯は、「特定の犯罪を共同して実行する意思で成立する」という理由になります。

行為を具体的に捉えていて、過失行為というのは無意識のはずで共同実行の意思はあり得ないと考えるからです。

単に、「互いに火を消し忘れて確認しないという行為」じたいを共同して行っている認識があっても、「過失行為」を共同して行うという意思は考えられないということになります。

過失の共同正犯は肯定されるか?

まず、行為共同説からは肯定されます。

これは、行為を共同する意思があればよいため、過失行為であっても問題になりません

次に、犯罪共同説からは否定されます。

犯罪共同説は、「ひとつの犯罪を実現することが共同正犯の本質」です。過失犯の意思連絡が無い限り、共同正犯はあり得ません。

ところが、いまでは、「同一の過失行為を共同して行う」と認めることができると考えられます。

たしかに、犯罪結果に対する行為の意思連絡はないかもしれませんが、過失行為についての意思連絡はあるからです。

このように、「過失の共同正犯とは、共同の注意義務に対する共同の違反である」と、犯罪共同説からも肯定することができるのです。

共同過失を認める判例

過失の共同正犯を認めない場合、全員が、因果関係が無いために無罪になるはずです。

判例(世田谷ケーブル火災事件)は、無罪とはしない構成をとりました。

「2人が、トーチランプの不始末をしなかったために失火を招いたような事例」です。

トーチランプの不始末をふたりともしなかったために失火を招いたような場合、

結局、どちらかの火が燃え移ったはずなので、ふたりとも無罪となるのは妥当ではない!という主張が考えられます。

たしかに、どちらかの火が原因なんだ!という択一的な認識が、一般的な感覚のはずです。

そこで、過失の共同正犯ではないですが、過失の範囲で処理する構成をとりました。

(※これが、実質的不要論からの同時犯解消説)

「各人が互いにほかの行為者に対して結果が生じないように監視、警告する義務を負っている。したがって、この監視義務に違反したことから、過失の同時犯として処罰するべきである。」

自分の注意義務違反か、ほかの行為者への監視、警告義務違反のいずれかから結果が生じたので、択一的認定とします

したがって、どちらか一方の義務違反から結果が発生したことが分かれば処罰できます

過失の共同正犯を認める理屈に残された問題点とは?

監督過失などは、ほかの行為者に対する行為を注意義務の内容と考えられます。

ところが、監督過失のような場面では、「上下関係、支配関係」があります。

同等の立場の者どうしではそこまでの義務があるものと考えるのはむずかしいのです。実際そうでしょう?

処罰範囲も拡げることになります。

そうすると、実質的に排他的支配にあるといえるような状況が必要になり、不作為犯のときのような保証(障)人的地位の理屈が妥当するか?が問題になります。

そもそもなんですけど、監視、警告あるいは管理義務違反のような監督過失と、直接過失が、ほんとうに択一関係と言ってよいのでしょうか?

結果からみれば択一かもですが、それでは結果ありきであって、刑法の理としては不十分なのです。

というわけで、以上になります。お読みいただきありがとうございました。