私たちは、自分たちの記憶がとてもあいまいであるということは
痛いほどよく分かっています
ところが、法廷では一定の条件を満たせば目撃証言を信頼しています。
本当に、「一つの資料として」扱ることができるならいいんですが、まあそうもいかないですよね
やはり、目撃者に私見ましたって言われたら信じてしまうのが人情かなと思います。
ただ、目撃証言は信頼できないよ、慎重に扱いなよーという話がおもしろかったのでメモです。
証言はどれほど信頼できるものか?
カリフォルニア大学の認知心理学者エリザベス・ロスタフによると、
「誠実で善良であらゆる人に信頼されている正直な人でも間違ったことを真実のように証言することがある」
だそう。
被験者たちは2つに分けられ、実際に起こった自動車事故のビデオを魅せられました。その後、いくつかの質問をされます
一台がもう一台にぶつかって「めちゃくちゃになった」とき、二台の車は時速何キロでしたか?
一台がもう一台に「衝突」したとき二台の車は時速何キロでしたか?
それぞれのグループに対して、このように質問するだけで、驚くべき結果となります。
同じ映像を見ていたにもかかわらず
「めちゃくちゃになった」の表現で聴かれた方が、
「平均して50キロも高く車の速度を見積もっていた」
といいます。
さらに、ガラスが割れているのを見ましたか?ときくと
「めちゃくちゃになった」で聞かれた方は、
「32%がガラスがわれているのを見た」と答えた
もちろん、実際にガラスが割れた画像は一切でてきません(笑)
人間の想像力が記憶を歪めてしまう
この実験では、
誇張した表現や情報が多ければ多いほど、
想像力をはたらかせてしまい、証言が信頼できないものになることを示唆しました。
最初に見た記憶と、想像した部分との区別がつかなくなってしまうのである
なんだそうな。
私たちの想像力は思っている以上に強く働くみたいです
▼今回の参考文献はこちらです
このように、犯罪の報道やコメンテーターが熱心であるがために、受け取った人の記憶をゆがめてしまうおそれがあります。
皮肉にも真実の報道を!と熱を込めれば込めるほど、反対に真実から遠ざかってしまうかもしれないんですね
事実の報道がいかに難しいかということですが、報道機関のあり方というのはとても重要なんですね