まずは、順を追って整理していきます
ざっと、おさらいです
■ ハンセン病とは何か
らい菌というものによる感染症で、顔や手足に発疹ができたり、変形したりすることがあります
乳幼児期に、濃厚で頻回な感染を受けた者以外では、ほとんど発病につながりません。
1931年、戦時中のことですが、「らい予防法」という法律ができ、ハンセン病患者の隔離政策を行いました。
1996年、つい最近になって、この法律は廃止されました。
詳しくは、コチラの国立感染症研究所、国立ハンセン病資料館がわかりやすいです
■ 特別法廷
裁判所法69条2項により、
裁判所外で法廷を開くことができます。
感染を恐れてか、ハンセン病に関する事件では
95件も開かれたみたいです
今回の訴訟というのは、この裁判所外で法廷を開くことに関連して、争われています。
(先に言うと、他の場所でやることそれ自体は良いのですが、場所を明らかにしていないという点で手続き上の問題点がありました。)
■ もとはといえば、ダイナマイト事件
熊本県菊池郡水源村(現在の菊池市の一部)の
村役場衛生課職員(当時50歳)の自宅に、ダイナマイトが投げ込まれました。
職員とその子供が軽傷で、
ハンセン病患者であった藤本氏が疑われ
1952年6月9日に熊本地裁は、
殺人未遂と火薬類取締法違反で
懲役10年の有罪判決を宣告。
藤本は、控訴・上告しましたが
1953年9月15日に最高裁で
上告棄却、有罪が確定しました(ダイナマイト事件で第一の事件です)
一方、一審判決直後の
1952年6月16日、藤本は、拘置所から脱獄。
そして、ダイナマイト事件の被害者職員が
全身20数箇所を刺され惨殺されているのを発見されました。
明らかではないですが、藤本が、逃走罪及び殺人罪で追起訴されます
ここでは、審理が、熊本地裁菊池恵楓園出張法廷で行われたようです
1953年8月29日に熊本地裁は、藤本に死刑を宣告。
藤本は控訴・上告するも、
1957年8月23日に最高裁が上告を棄却し、死刑が確定
3度の再審請求を行いましたがいずれも棄却
1962年9月14日午後1時ごろ、死刑執行(第二事件)
この一連の事件をまとめて、菊池事件(または藤本事件)としています
■ ハンセン病特別法廷訴訟について
菊池事件の審理の手続きについて、
違法があるのではないかという点で訴訟となっています。
(冤罪の主張はありますが、その辺りは審理判断されていません)
報道機関による、「判決要旨」から
法学的に読み取っていきましょう
論点は4つです
・ ハンセン病を理由に、人として差別的な審理が行われていたので、憲法違反ではないか
審理の場所を、
国立療養所菊池恵楓園に指定したこと(特別法廷)は
合理性がなく
(裁判所法69条2項)
このような扱いは、
ハンセン病患者のみ行われていたので
平等原則に違反
(憲法14条1項)
法廷では、予防衣を着て、
証拠物を扱う際もゴム手袋に箸を使っていたことは、
科学的に合理性を欠く偏見・差別で、人格権を侵害です
(13条1項)
・ 審理が行われた場所の告示を明らかにしていなかったので、憲法違反ではないか
上記のように
どこで審理されているか
国民一般にわからない状態になっていて
国民の傍聴を許否したに等しいです。
しかし、詳細な状況が明らかではないので
断言はできないから、
公開審理の原則に違反する疑いがあるにとどまります。
(憲法37条、82条1項)
・ 検察官が再審請求しないが、再審できるか
原告(患者ら)は、被告人・その親族ではなく
そのため、再審を請求する利益がありません(法律上)
再審事由があるかどうかは、
(上記の)憲法違反が、
菊池事件の事実認定に
影響を与えるか(有罪・無罪に影響するか)
という点から検討するため、認められません。
・ ハンセン病に対する国の政策で被害を受けたので、国に対して損害賠償請求できるか
菊池事件を特別法廷で行ったことは、
差別が表れたものといえます。
国の強制隔離政策による被害に基づく
損害賠償請求はしうるのですが
しかし今回は、
菊池事件の手続き上の違反なので、
これに基づいて、損害賠償請求することはできません。
こんな感じですね。
ちなみに、菊池事件について、詳細な調査をしたのが日弁連法務研究財団で、調査報告をまとめてくれています。
日弁連法務研究財団とは
日弁連法務研究財団とは、日弁連を中心とした
法科大学院適性試験、法学既修者試験、法学検定など
さまざまな流行らない愚行を実施しており
法学徒なら皆が知っている超有名な団体です。
日弁連法務研究財団の調査レポートによると
菊池事件は、裁判においても捜査段階においても
疑わしいところが多く指摘されています。
レポートでは、裁判官の被告人及びハンセン病に対する
恐怖が指摘されています。
たしかに、科学的見地から感染のおそれはなく、
不合理であったということは
客観的に間違いないかもしれません。
しかし、専門的な情報は、
人間の不安や恐怖といった感情と重なり
大きく歪みが生じることは、ごく自然な現象です。
これも忘れてはならないことです
ここ数か月の「コロナウイルス」の騒動にしても、
未解明な部分が他の感染症に比して多いとはいえ
あらゆる情報が飛び交い混乱が生じています。
たしかに、職業人として高度な注意義務が
求められることは当然なのですが、
本件のような裁判官の態度も、
ちょうど電車のつり革に触れたくないというくらい
「自然に起こり得る」感覚であることに注意すべきです。
また、立法・行政として隔離政策は問題です。
しかし、立法・行政は社会全体を映す鏡でもあります。
ハンセン病患者に対して一切の偏見を持たず、
接触することができた人は当時(今も)どれほどいたでしょうか。
ちなみに、
2012年に行われた研究では、
被験者の30%が「統合失調症患者と同じ部屋にいるのは不安」
2017年の研究では、
12%が「うつ病患者と同じ部屋だと落ち着かない」とこたえています。
とくに、具体的な被害や危険性が生じているわけではありませんが、
人は偏見や差別を自然に起こすものなのです。
当然、当時の状況は分かりませんし
差別裁判であったかもわかりませんし
もはや調べようもないです。
社会全体の感覚として、
ハンセン病患者が犯人であればいいな、
という思いがなかったと言えるでしょうか。
実際に、被害者は惨たらしく殺害されているそれは事実です。
犯人は分かりません。
ただ、そこにハンセン病患者がいて
決定的な証拠はないが、疑わしいことはいくつかある。
ここで、無罪とすると、
誰も処罰されないまま殺害の事実のみ残ってしまいます
それでもいいですか?
誰かを犯人にしなければならない、そうは思いませんか。
この件については、
最終的には有罪、死刑となってその執行も終えていますが
もう取返しがつかないということは心得ておくべきでしょう。