憲法の「比較衡量論」とは?わかりやすく解説【違憲審査基準の歴史】

違憲審査基準とは?

憲法上、「保障される」ということは制約されないということです

しかし、法令で規制されるため「制約」があります

これは、憲法で保障される権利だとしても、「公共の福祉に反する場合」には、制約されるからです。

公共の福祉によって、「必要最小限度の制約がある」ということになりますが、これでは何を検討すれば必要最小限度か判断できません。

権利を制約することができる「必要最小限度のライン」は、どのように判断すればいいでしょうか?

これが「違憲審査基準」です。

比較衡量論とは?

残念ながら、基準といっても、決して画一的にはならないし、なんならすべての権利によって変わるし、同じ権利でも場合によって変わります。

そのため、どういう権利が制約されているのか、どのような制約がされているのか

事案によって千差万別です。

そこで、事案に応じて検討するのですが、このような検討を「比較衡量」といい、

とくに、国家が制約して得られる利益と、制約されないことによって維持される利益を比較することを「比較衡量論」といいます。

比較衡量は、簡単にいうと、「天秤にかける」ということです。

なぜなら、当該紛争解決のため、事実認定をし評価して結論をだすそれが裁判だからです。

裁判所は憲法判断において、基本的には比較衡量を採用しています。

実際に、厳格な基準、厳格な合理性、緩やかな基準で分けてといった判断をしているものはほぼありません。

そんな画一的になどならないからです。

旧試験では、理論面が重視されていたためあまり大きな問題はありませんでしたが、

新司法試験・予備試験においては、大半の答案がこの3つの審査基準で同じような判断を書いてました

そして、あてはめでがんばればいいとされていたのですが、このあてはめで行うような評価を審査基準をたてるうえで行わなければならないのです。

なぜなら、憲法では公共の福祉という曖昧抽象的な制約を許容しており、憲法の肝は、これを明らかにする審査基準をどうたてるのかにあるからです

そのため、重要だから厳格な審査~というような理屈では、憲法の判断としては的を外しており、評価が出にくかったし、逆に言えば皆がわかっていない分、論点や事実を抑えて余分なことを書いていないとAがつくということもありました

そして、誰もよくわかっていないため、憲法はAをとるのが難しい、ブラックボックスだなどと言われていました。

あまりにも判例の考えとかけ離れているためについにH27年くらいから判例に言及することが問題文に明示されるように至ったのです。

原則として、判例と異なることを書く場合判例の考えを示しその批判をした上で問題点を克服する考え方を書かなければなりませんので、非常に高度で大変です。

比較衡量論
『それを制限することによってもたらされる利益とそれを制限しない場合に維持される利益とを比較して、前者の価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができる』

個別的比較衡量論

個別的比較衡量(ad hoc balancing)ともいわれますが

端的にいえば、得られる利益と失われるを比較します。

これは憲法解釈の最も基本的な思考様式です。

公共の福祉というあいまいで抽象的な暴論を克服するために用いられてきました。

ただ、どうしても裁判官の恣意性はぬぐえません。

現実にはまずないのですけれど、属人的な偏見のある判断になり得る点は否定できません。

これに対して、学説が提示したものが「審査基準論」だったわけです。

» 「審査基準論」とは?

違憲審査基準によって、制約が必要最小限度かどうかは

まず、制約の目的を明らかにしましょう、そして、目的と手段の関係について、必要性合理性を検討しましょう、ということでよりはっきりするのです。
(これでも基準といえるほど明確なのかは疑問ですが)

・ 制約の目的を明らかにする

・ 目的と手段の関係について、必要性合理性を検討する

あくまでも、違憲審査基準論においても、比較衡量はするわけです

恣意に流れる可能性があるから、何と何を比較してどう評価するのかわからない比較衡量とならないように枠づけることを狙っているのでした。

必要性、合理性を検討する際、対立利益の比較衡量が息づいています。

比較衡量という思考があった上で違憲審査基準は成り立っているのでその点を踏まえておくべきです。

この辺りが、憲法判例を呼んでも審査基準がなんだかよくわからない、論証と乖離していると感じられる根本的な原因となっているのでした。

例.
・ 博多駅事件
・ 全逓東京中郵事件
・ よど号ハイジャック事件(最大判昭58.6.22)
・ 教科書検定事件(最判平5.3.16)

ただし、判例で言及しているのはあくまでも制約の可否とその理由であって、どのように判断しているかは当該紛争解決のために当該紛争の事実を考慮するという状態で「基準」といえるようなものは示していないのが現実であるため、判例を読むときは注意しなければなりませんし可能な限り事案の詳細にあたらなければならないです。

比較衡量論の問題点

憲法は公共の福祉による制約があることを、一般的に定めていますが

12条、13条、22条、29条でしか、文言としては出てきません。

各人権に対してどのような意味を持つのか?ということも争われています。

・ 公共の福祉では抽象的

・ 人権を制約する規定の合憲性をどのように判定するか?

・ 基準が必ずしも明らかではない

こうした問題を克服する点で注目されたのです。

個別の事案の具体的な状況を踏まえて、対立する利益を比較しながら妥当な結論を導き出そうとする方法

この点が具体的でメリットとなりますが、一方これには根本的な問題点を孕んでいます

それが、国家権力の利益の方が優先されてしまうということです。

実際にも立法裁量を広く認めるかたちで判断され形式的に運用されているので、

こういった問題を指摘するように主張されたのが審査基準論であり、審査基準論の中身として二重の基準論があったのでした。

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違憲審査基準は、このような歴史的な流れが背景にあるので、それを踏まえて判例を読んでいくとまた新しい発見があるかと思います。

ということで、今回は、以上になります。お読みいただきありがとうございました。