・法律知識ゼロの人から、公務員試験や司法試験受験生の方まで
「憲法9条改正って結局なにがどう問題になっているのだろう?ややこしくてよくわからない」
こういった疑問にお答えします。
本記事の内容
・憲法9条改正の問題点は2つある
・憲法9条1項は、留保つきと読むべきか?
・憲法9条2項の「戦力」は、どこまでの範囲に及ぶか?
憲法9条改正の問題点は2つある
まずは、問題の所在は以下となります。そして、その解釈は、分かれています。
・「国際紛争解決の手段として、武力を放棄している」は条件付きなのか?
・保持しないとされる「戦力」とは何を指すのか?
いずれも条文の文言をどう解釈するか?という論点となります。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
9条2項:
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条1項は、留保つきと読むべきか?
では、「国際紛争を解決する手段としては放棄する」という文言は何を意味するでしょうか?
1項では、戦争と武力行使を放棄すると宣言してますが、「国際紛争を解決する手段としては」という留保がついています。
これをどう考えるかというと、ふたつの考え方に分かれます。
1.限定放棄説
限定放棄説では「侵略戦争を放棄し、自衛戦争は放棄していない」と考えます。
理由は国際法上、戦争は「侵略戦争」を意味するからです。
国際法上と言うときの根拠は「パリ不戦条約」(1928)で、パリ不戦条約の1条で「国家の政策の手段としての戦争を放棄する」とあります。
明言されていませんが、これが侵略戦争を意味しており、自衛は含めないものと解されています。
2.全面放棄説
全面放棄説では、「全ての戦争を放棄する」という考えます。
理由は、戦争とは、国際紛争を解決する手段であるが、結局、「自衛と侵略の区別は困難」であるから。
感覚的には、「自衛と侵略は違う」と思われるかもしれませんが、条約でも明言されていません。
何を基準にどう判断するかの区別はされていませんし、実際、ほぼ不可能です
「限定放棄説」の場合、さらに2つの考え方に分かれる。
限定放棄説を採る場合、「侵略戦争と自衛戦争が区別できる」という考えが基礎になります。
ところが、憲法9条2項では、
と、上記のように定めています。したがって、結局この2項によって、すべての戦争が放棄されるのでは?と考えられます。
通説
まず、通説は、1項の目的を、「国際平和を希求する目的」としています。
したがって、「一切の戦力、交戦権も否認され、自衛戦争も放棄されすべての戦争が禁止されます」
反対説
これに対して反対説は1項の目的を、「侵略戦争を放棄する目的」と解しています。
したがって、あくまでも「侵略のための戦力は保持しないため自衛戦争のみ禁止されません」
ここでの問題意識も結局、侵略と自衛の区別
結局、侵略戦争と自衛戦争は区別はできるのか?という点に帰着します。
一方では、「先に手を出してきたから自衛しているだけだ」
かたや、「どっちが先に手をだしたのかはよくわからない」
一般的な感覚すると区別できそうな気がしますが、歴史を持ち出せばどこまでもさかのぼることができてしまいます。
じつは、こうした点で、永遠の水掛け論になっているのです。
2項で禁止される「戦力」とは何を意味するか?
そして、最大の論点はおそらくここです。自衛隊が戦力に当たるかどうか?
これには大きく3つの考え方があります。
一つの説
戦力は、「戦争に関する一切のものを指す」というもの。
この場合、武器から航空機やその施設、核についての軍事研究などあらゆるものが含まれ、広範囲となります。
軍事研究から人々の生活に役立つものが生まれたりしているからか、あまり支持されていないかもしれません。
通説
戦力は、「軍隊及び有事の際、転化しうる実力部隊を指す」というもの。
これは、主に「軍隊という組織」を意味します。通常、組織は、目的と実態を考慮します。
そうすると「警察力」と「軍事力」の、2つに分かれることになるのですが、この立場では二つの中間はないとされます。
したがって、自衛隊は軍隊として、禁止される「戦力」に当たらざるを得なくなります。
(通説ではそういった解釈上の問題点があることから政府解釈がでてきます。)
政府解釈
この立場では、「警察力」と「軍事力」の中間を認め、それが自衛隊であり「戦力」ではないということです。
この立場を採るためには、1項で、限定放棄説にたつ必要があります。
自衛は禁止されていないため、自衛権行使の実力を持つことも禁止されないことになります。
なぜ政府が批判されるのか?
報道や政治ジャーナリストなどは、「自衛隊は戦力だ」という批判をするかもしれません。
ただ実際に問題なのは、支持を受けた学説を採用せず、独自に解釈していることです。
憲法とは、政府を規制する規範なので、時の政府が独自に憲法を解釈することが許されず、そこが問題です。
国民が独自に法律を解釈して違法ではないと言っているのと同じです。
立場の違いは、「侵略戦争と自衛戦争は区別が難しい」という点でした。
これが二重構造になっているわけです。
そして、政府が譲らないのも、当然、外交政策上の問題があるからです。
本音を言えば、いわばグレーであることは否定できません。
憲法と実情はそもそも合致しない
自衛戦争と侵略戦争は存在し、区別されるべきかもしれませんが、この2つをどうやって区別するか?が問題です。
自衛隊の話はその後になるのが、論理の流れかと思います。
そして、その次には、「平和主義」という憲法の基本原理を改正できるのか?という論点が待ち構えています。
9条は「平和主義」という憲法の根本規範で自然法思想から導かれてます。
憲法の改正はなぜできるか?というと、憲法自身が憲法改正する権限を持っているからです。
この憲法改正の根拠である憲法じたいの基本原理を改正していいのか?という壁があります。
これは憲法が、人類の普遍的な価値なので、いかなる時代のいかなる状況でも妥当する普遍的価値が理由でなければ改正が許されないからです。
昔、ドイツ軍で国家元帥であった、ヘルマンゲーリングがこんな興味深いことを言っています。
人々に対して、我々は攻撃されている。そう煽るだけです。
平和主義者に対しては、愛国心が欠けている、国を危険にさらしている。そう非難すればいいのです。これだけで、どんな国でもうまくいきます。
こういっているくらいなので結局実際にはどうやっても運用しだいでどうとでもなるのでしょう
ただ、議論としては、外交政策の問題と統治機構のあり方の問題とは分けられます。
というわけで、以上になります。お読みいただきありがとうございました。