先日、とある刑法学者が記事と掲載したところ
弁護士を筆頭に、法律の専門家を名乗る人たちが大騒ぎしていました。
なかには、憲法学者とかも巻き込んでいました
この状況を遠くで眺めていると、気づいたことがあります。
もちろん、議論自体が成立していなかったことはいうまでもないですが
ほぼ全員が、刑事手続きにおける概念を理解していないということでした。
そんなわけで、自分の目も疑ったのですが、あらためておさらいです
刑事手続きとはいかにあるべきか
疑わしきは被告人の利益に
→ 「利益原則」ともいいますが、これは、検察官の立証責任の話です。手続きの決まりです。
そのため、刑法ではなく、刑事訴訟法の原則です。
これは、「無罪の推定」という原理から導かれます。
無罪の推定
無罪の推定 → これは有罪が決まるまで無罪だから、普通の人として扱われなければならないという「人権」の話です。
これは大原則なのですけれど、本来は「フランス人権宣言」から導かれるものです。
で、フランス人権宣言の価値観を日本の憲法と結びつけると、憲法38条、39条あたりになります。
31条は素直に結びつくものではないのです。
それから、「自由権規約14条」とかも、根拠になっています。国際協調主義です
無辜の市民
有罪が決まるまで無罪だからという部分から無辜の市民という概念を持ち出すひとがいます
無辜の市民 → これは、「政策的観念」というものです。
ようは一種のスローガンみたいなもので、決して法的な何かではありません。
ただ、人権の価値観からすれば、当たりまえだという話ではあります。
罪刑法定主義
そして、罪刑法定主義です。
罪刑法定主義 → この本質的な部分は、「成文の法律を求める」という話です。
そう実は、もともと「三権分立」から導かれる原理です。
ようは、国王(行政権)の恣意的な刑罰を防ぐため立法を求めるというところにあります。
そのため、むしろ、ここから憲法31条が導かれます。
趣旨から考えれば手続も適正でなければ無意味になるということです。
ということで罪刑法定主義の大原則でした。
刑事手続きと被害者学
これらの「概念」は、被疑者のものであり、刑事手続きを構成しています。
しかし、一方で、被害者に関する原理はありません
刑事手続きの中では今まで、被害者の視点はなかったわけです。
これって実際どうなのよ、という疑問は1960年代くらいからありました。
そうして、いまの「刑事政策」という分野では「被害者学」というものが確立しています。
(今回の騒ぎをみればわかるようにまったく成熟していませんが。)
このような、被害者の視点をもっと考えるべきということを主張したのが島岡先生でした。
ただ、このような総論のお話を、性交同意年齢の引き上げという構成要件の立法論というレベルで論じてしまったがゆえに大混乱となっています。
同意年齢という要件を引き上げるよう変更しようという「一意見」をしているがこらは各論の立法論という具体的な話です
ここは分けて考えます。
概念を否定してるわけじゃないですしね。
それにそもそも制定法主義の国家が、刑罰権の存否を画する年齢を定めることじたいがナンセンスな気もしますし論点が異なります
年齢の問題では解決しません。一歳、一日の違いに左右されるからです
そのため、法律の原理とかそういう話ではないのです。
我々およそ人間は、被害者を刑事手続きの中で考えてこなかったねということが一番投げかけたいテーマだと思います。
リストとかはさんざん主張してたし
で、実際、刑事政策の分野では被害者が刑事手続きから見落とされることはずっと指摘され続けてるしね
人権派っぽい人が、けっこう語気を強めて
上から目線で、偉そうな態度で発言をしてると思いますが
非常に愚かな態度だと思います
被害者の目線が見落とされてきたことは事実で、それを考えようとすることは
我々が被疑者を守ろうとするのと同じくらい大切なことです
私たちの未来をつくることです
法律の素人も学者でも人権を訴える声があるならば耳を傾けて然るべきだし、
一方の立場に立って他方を強く批判するのは全く建設的ではありません
これからの法律家は、決して、あのような偏った、そした、偉そうな人間にならないでほしいと願っています
ということで以上になります。ありがとうございました。