責任能力とは?
責任能力とは、判例(大判昭和6.12.3)によると、
としています。
※端的に事理弁識能力を欠く状態と覚えているかもしれません
これを細かくみてみると、日本では心神喪失、心神耗弱が認められるためには
生物学的要件と心理学的要件が必要とされています。
第一に生物学的要件とは、精神障害があることで
第二に心理学的要件とは、その精神障害によって善悪を判断する弁識能力を障害されていることまたは、行動制御能力が障害されていることです。
この条件が必要となります。
・ 精神障害があること(生物学的要件)
・ その精神障害によって善悪を判断する弁識能力を障害されていること
または、行動制御能力が障害されていること(心理学的要件)
そして、従来より判例では、「鑑定」というものを絶対視していませんでした。
昭和20年代頃より
・「必ずしも鑑定が必要というわけではない」
といわれたり
・「必ずしも鑑定に縛られない」(最決昭和33.2.11)
されていました。
そのようななかで、
「責任能力は法律判断である」ということを明らかにした判例(最決昭和58.9.13)があります。
責任能力の判定に精神鑑定が利用された背景とは?
この辺の時代の背景には、「不可知論」という考え方が主流だった影響があります。
不可知論とは、「鑑定人ができるのは、生物学的要素(つまり、精神医学的診断)だけであるから、原則、責任無能力とすべきである。」
という考え方です。
これは、ドイツの精神医学者グルーレという方が主張しており、日本では、東京医科歯科大学教授(当時)であった中田修先生という方の「司法精神医学」の学説として有力だったそうな。
そして、これを支持していたのが、刑法の大先生である平野龍一先生でした。
ところが、判例では、鑑定にかかわらず事実認定から責任能力を判断していたわけです。
しだいに、責任能力は法律判断とすることを明確にし、判断基準についての医学的知見も動きが活発になり、責任能力の論点は、違法性意識の可能性、期待可能性が有力となっていったのです
責任能力に精神鑑定を用いた判定基準(最決昭和59.7.3)の判例
責任能力の判断は、法律判断であるという立場を明確にしていたわけですが、その判断基準を明らかにしました。
さらに、この判例は、「統合失調症=心神喪失ではない」ということを明らかにし、刑事責任能力の転換となりました。
「精神分裂病の種類・程度、犯行の動機・原因、犯行の手段・程度、犯行後の態度、発症前の性格と犯行との関連性等を総合して責任能力を判定すべきである」
(最決昭和59.7.3)
どのように法律判断を行うのか?という判例の法律判断方法を明らかにしてます。
事実、ここから責任能力なしの認定がぐっと減ります。
精神分裂病について
①精神分裂症の種類・程度といった病状
②犯行の動機・原因
③犯行手段・態様といった計画性
④犯行前後の行動
⑤被告人の記憶の有無・程度
⑥犯行後の態度
⑦発症前の被告人の性格と犯行の関連
ただし、このような事実認定、証拠の評価は、慎重にならなければいけないところです
証拠能力において、自然的関連性、法律的関連性の有無を要求していますが、被告人の悪性格をや犯行(行為・結果)と関係のない時点にまで拡大しているので、実質的に証拠能力を潜脱することも可能になります。
責任能力について精神科医の精神鑑定7つの着眼点
責任能力について精神科医の精神鑑定7つの着眼点については以下のものが示されています。
A:動機の了解可能性 犯行動機
B:犯行の計画性 犯行に至る行動
C:行為の意味、反道徳性の認識 犯行についての意味や善悪の理解
D:精神障害による免責可能性の認識 精神障害を理由に刑罰を免れることができるという考え
E:本来の人格と犯行の親和性 普段の性格の影響
F:犯行の一貫性 犯行時の行動
G:犯行後の自己防御の行動 逃走、証拠等隠蔽
この7つの着眼点は、「責任能力鑑定における精神医学的評価に関する研究」(分担研究者:森山公夫)という研究によって法曹の問に答えるために精神医学から提案されました。
(岡田幸之「責任能力判断の構造と着眼点」)
これらの項目は、並列ではなく、重要度も同一ではありません。
また、独立というわけでもなく重なり合うこともあれば重視する比重も事案によって変わると思われます。
ただ、なんとなく判断基準が見えてきたような気はします。いまでは知見も積みあがってきていて、精神医学との調和も進み鑑定資料が重要になってきています
近時では
とされています。
精神鑑定については、これまで個々の精神科医が独自に鑑定を行い、その判断過程や判断要素が共有されることなく、議論もされることもなかったようです。
最近は脳との関係から犯罪のアプローチが進んでいます。そして、その領域は神経科学となりますがこれも精神医学とは違うものですが、いずれにしても、「責任能力」はまだまだとはいえ進展しているといえ、ますます発展していくところだと考えられます。近代刑法学の根幹ですので引き続き注目です。
というわけで、以上になります。
お読みいただきありがとうございました。