「折衷的相当因果関係説」と「危険の現実化」の論証【学説の解説】

今回は、錯綜しがちな因果関係の学説についてです。

本記事対象読者

・司法試験受験生の方
・法学部の方

「因果関係は、意味がわからない。」
こんな方に向けて記事を書きます。

※法律は一文が長くなります。スマートフォンの方は横画面にしていただくと読みやすいかもしれません。

因果関係の学説のちがいとは?

因果関係が認められるか?この論点は、

発生した結果と行為を結びつけてもいいか?という意味です。

水素と酸素で水が発生したという場合は完全な因果関係ですが人間生活はそう単純ではありません。

刃物で刺して死んだ場合ですら、出血死ならば因果関係がありそうですが、ショック死の場合や出血量が少なかったのに虚弱のため死んだとか

個人差があれば死ななかったかもしれないので因果関係に疑問を付することができます。

けっこう人それぞれの価値判断が可能で、故に、相当因果関係説も危険の現実化説も妥当な結論は前提にあって、ほぼ説明の仕方のちがいでした(ほぼ、ね)

試験でも、結果について考えると、様々な原因があったりするので、当てはめが重要と言われます。

いずれにしろ、ポイントは、「行為者にとって偶然的なものを排除するため」という視点です。

折衷的相当因果関係説とは?

これは「条件関係を前提に、社会通念上、結果発生が相当な場合に因果関係を認める」という学説です。

条件関係では、事実的なつながりのほぼすべてが認められてしまいます。

そこで、社会生活上の経験から、結果発生が相当な場合にまで限定して、因果関係の成立に絞りをかけるわけです。

社会経験上、結果の発生が相当な場合とは、どういう場合?

ただし、「社会生活上の経験に照らし結果発生が相当な場合」と言われても、

どういう場合に因果関係が認められて、どういう場合には認められないのか基準がよくわかりません。

そこで、「行為時における一般人が認識可能な事情及び行為者が特に認識していた事情」を基礎にすると説明されます。

しかし、「一般人が認識可能な事情」というのがやっぱりよくわかりません。

たとえば、病的素因は、持病として、認められてしまいます。そんなのは知ってる方がまれです。

犯罪行為と発生結果の間に、介在事情があったとき

ここから堂々巡りとなります。

「行為時に一般人が予見可能であった事情及び行為者が予見していた事情を基礎に、因果経過が社会生活上の経験に照らし相当か」を判断します。

これを「狭義の相当性」と整理しています。

しかし、社会生活上の経験に照らし相当と言える場合について、社会生活上の経験に照らし相当かを判断するとなっており、説明になっていません。

「基礎事情として、どんな事実を採用するのか?」「相当と言える場合とは?」ここが説明できません。

相当といえるかどうかは、つまるところ、価値判断で無理がありますからね。

そんなこんなで一言でいうと、不明確と批判されていました。

折衷的相当因果関係説の論証とは?

一応、折衷的相当因果関係説から論証するにはこんな感じになろうかと思います。

「因果関係は、構成要件要素であり、構成要件的行為は主観と客観の全体構造を持つ。

そのため、条件関係を前提に、社会通念上、結果発生が相当な場合に因果関係を認める。

そして、結果発生が相当と言えるかどうかは、行為時における一般人が認識可能な事情及び行為者が特に認識していた事情を基礎に判断する。」

こんなかんじでしょうか。

危険の現実化説とは?

現在判例では、折衷的相当因果関係説は採用されておらず、危険の現実化説ではないか、と考えられています

この背景には、かつては、米兵ひき逃げ事件(最決昭42.10.24)で、

「経験則上、当然予想できることではない」

と言って、因果関係を限定してました。

そのため、相当因果関係説では、と評価されていました。

いまでは、行為時に存在した事情から危険性を客観的に判断するのみです。判例ではこんな風にいってます。

「行為の危険性が結果へと現実化した場合に因果関係を肯定すべきである。」

危険性が実際に現実になったこと、それがまさに行為と結果の繋がりを表しているのです。

危険の現実化説を論証とは?

大層なものはありませんが、論証しとくと、

「因果関係とは、結果が発生したことを理由として、行為に、より重い違法評価を加えることができることをいう。そのため、行為の危険性が結果として現実化した場合に因果関係を肯定すべきである。」

これに、当てはめで、死因、因果経過を基礎づける事実を拾って、自分が肯定か否定かに持っていけばOK。

危険の現実化説では、事実的な因果関係を認めて、そこから限定して絞るというものではありません。

行為が直接「死因」になっていないケース

行為が死因となっていれば分かりやすいです(大阪南港事件とか)

そうでない場合は、たとえば「トランク事件」(最決平18.3.27)があります。

「トランクに監禁した行為」は、死の結果を引き起こすものではなく、死因も後続車の追突でした。

ところが、「人が入ることは予定されていない。

また、追突された場合、安全装置もない危険なスペース」と評価できます。

さらに、監禁行為により逃げられないことも加えていいかもしれません。

そうすると、「監禁行為には死傷結果が伴いうる」わけです。判例もこう言っています。

「被害者の死亡原因が直接的には追突事故を起こした第三者の甚だしい過失行為だとしても、因果関係が認められる」としています。

この判断を「因果経過について予測可能性を肯定できる」としていますが、感覚としてはそれぞれです。

危険性はもちろんわかりますが、あくまでも死の結果を受けているからだと思います。

状態で考えてみると、トランクに監禁した時、死の結果まで引き起こすか?、私は微妙だと思います。笑

因果関係の重要ポイントは、「より重い評価」をしても良いか?

重要なことを確認すると、

「因果関係とは、結果発生を理由として行為に、より重い違法評価を加えることができることをいう」です。

結果が発生したことによって、禁止されていた行為の危険性が、証明されます。

そして、違法評価を加えることできるのです。

刑法は、重く処罰することによって私たちの危険な行為の抑止を図っています。

このように、行動のコントロールをすることで、私たちの法益侵害を抑止する、これが刑法です

※行為規範ということですね

最後に

被害者の特殊事情、被害者行為の介入、第三者行為の介入といったものは、なんとかして、学者が類型化しようと試みているだけです。

わたしたちは、判例が、どの事実をどう評価しているのかに注目すれば十分で、現実的に一つの結果には、いろいろな原因があるもので、明確な基準などありません。

余裕が出てきたら、「なぜ、その基準で因果関係を判断するのですか?」という問いに答えられるように考えてみてください。

刑法の目的は何か?違法とは何を指すのか?なぜ違法なのか?

こうした根源的な部分と向き合うことになります。

正解は無いか、まだみつかっていません。あるのは一つの価値観です

そういうわけで、刑法学者の間ではこういったことを軽んじている者は皆無ですし、判例にも厳しい態度で臨んでいきます。

長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。