【性表現と表現の自由の芸術性】規制の根拠はほぼ無い

・すべてのクリエイター
・すべての消費者の皆様

こういった方々に向けて記事を書きます。

クリエイターにとって、表現の自由は、それこそ「命より重い」と言えるくらい重要な権利です

ところが、わたしたち作品を楽しむわたしたちにとっても無視できない問題です。

「この世から経済がなくなろうとも、芸術は死なない」といわれるように、芸術活動は人間の根源であると考えられます。

性表現は表現の自由として保護される

表現の自由を支える理として、「思想の自由市場」というものがあります

これは、「あらゆる表現は市場に発表され、市場において評価されそして淘汰される」というもの

「発表の機会を奪うべきではない」ということです

表現の自由はあくまでも国家に干渉されないこと

表現の自由を誰に対して主張するかというと、「国家」つまり、「行政(国会含む)」です

行政によって、発信の機会を奪うような法律はつくれません。企業も同じく、許されません。

一方で、性表現が炎上するようなとき、「露骨な描写を理由にこういったものは買うなとか、店に置くな」という主張があります

これに対して、「過激ではないからそのままでよいとか、表現自体に問題はないが、場所をわきまえろ」といったりします。

両者の、どちらの主張も間違いではなく、同時に正しくはありません。

純粋な私人どうしであれば、どちらも表現の自由の規制は、関係なく、シンプルに、好みの対立で両者の権利が等しく対立しています。

作品としてはすばらしい状態

作品としては、まさにこの状態こそすばらしい状態です

さまざまな人たちが、あれこれ意見を出すことによって、作品は受動的に居場所が決まります。

商業的成功かもしれないし、芸術的成功かもしれないし、現代では受け容れられないかもしれません。

しかし、2番がいるから1番が、銀メダルがあるから金メダルがあり、駄作、贋作があるからこそ真作に大きな価値があります。

社会の価値観は変化しても「変わらない」もの

表現自体が禁止されない限り、表現物は市場において評価される流動的なもなのです

コンビニの成人雑誌も消滅しつつあります。

少年雑誌の過激な性表現もそうですし、SNSなどのプラットフォームでマンガが発掘されることもそうです。

かつては出版社(ある意味、主観を)クリアしなければ、世にでることのなかった作品がたくさんありました。

いまはSNSにより、消費者の直接的な評価を受けるようになりその様相も変わっています。

こどもにとって有害かどうかなども、個人が判断し、そう思えば読まれなくなります

読まないように勧めることも問題ではありません。

しかし、その発表をさまたげることだけは決して許されないのです

表現の自由に対立する利益

性表現が炎上するとき、その対立利益は、「見たくない利益」です。

「見たくない利益」じたいはあって然るべきです。ただ、それは表現の自由とは衝突しません。

たとえば、SNSであればリツイートといった機能などを契機とする「管理の問題」であって、プラットフォーマーとユーザーとの問題です

そして、企業に対する関係に限り、表現の自由が問題になりうるのです。

表現をアウトプットすることもインプットすることも表裏一体のもので制限されません。

わたしたちは、好きなように自由に作品をえらべばいいわけです

性表現と表現の自由とクリエイターへの萎縮効果

自由な発言や評価においてはどうしてもクリエイターを傷つける要素が含まれるという事実は見逃してはいけません

わたしたち(とくに法律家)がそういった社会の中で、クリエイターの権利をいかにまもるかという非常に高度な問題を考えなければならないのです。

たとえば、露骨な性表現が巻頭カラーや表紙などであらわになってくるのは、それが広告として機能するからです。

売れるから出版社や編集者あるいは店頭では当然に行われるものです

市場においては、過激な性表現も広告も受け入れられうるのですが、これはあくまでも民主主義ではありません。

つまり、市場において当然のように、認められたとしてもそれが正当である保障はなく、多数派の意思でもありません
どんなに大ヒットしても過半数にはなりえないからです。

性表現が増加すると、性犯罪も増えるのか?

この点について、じつに興味深い研究があります。

性表現と性犯罪には関連があるのか?

Milton Diamond,1999の研究によると

日本におけるポルノ表現の増加と、レイプ、性的暴行、および公共のわいせつの発生率との関係を、1972-95年に収集されたデータを使用して調べられました。

この1972年から95年の期間にかけて、日本では、過激なポルノ素材について、その数自体と入手する機会が増加しました。

結果のサマリーによると、

・レイプの発生率は、1972年の5,464人の犯罪者を含む4,677件から1995年の1,160人の犯罪者を含む1,500件に減少しました。

・少年が犯したレイプの数も著しく減少しました。

・性的暴行の発生率は、1972年の3,139件から、1975-90年の各年の3,000件未満に減少しました。

・報告された公然わいせつの発生率は約3分の1に減少しました。

・殺人や非性的で暴力的な身体的暴行の数も著しく減少しました。

・殺人は約40%減少しました。非性的な身体的暴行は約60%減少しました。

犯罪の減少数が減っています。減少率も大きいです。

論者いわく、

「大量の性的に露骨な素材が常に豊富な性的活動をもたらし、最終的にレイプをもたらすという神話は続いています。

一方で、さまざまな社会的要因が性犯罪の減少に関係している可能性があるにもかかわらず、

このデータは、日本で利用可能なポルノの大幅な増加が、加害者としても被害者としても、少年の性犯罪の顕著な減少と相関していることを明らかにしているのです。」

と結んでいます。

また、マヒドン大学のウィナイ・ウォンスラワットの研究では、

「ポルノが暴力的な性犯罪や家族の不安定性に与える影響」を調べてます。

「ポルノの消費が強姦と離婚の両方の頻度に寄与しており、性的なメディアの増加は、性犯罪の低下につながっていることがわかった」とのことです。

いろいろな視点から見てきました。結論づけることはできません。

しかし、私たちはクリエイターであり、コンシューマーです

このような結果を私たちがどう受け止め、社会を築き上げていくかは自由です。