話題になっていた嘱託殺人が気になりました。
ポイントは
・嘱託殺人は殺人罪より刑が軽いけど犯罪
・患者の承諾で違法性が排除されることがある
・安楽死も裁判的には認められる
・承諾があっても、直接生命を絶つような行為は基本的には許容されない
・一番の問題は、安楽死のためにどんな方法をとったのか?
嘱託殺人というのは、相手の依頼に基づいて殺害することを指しますが、刑法としては、被害者の承諾に基づく殺人や自殺に追い込むようなものをまとめて「自殺関与及び同意殺人罪」として殺人罪よりかなり軽い刑の罪として規定しています。
殺人罪:死刑又は無期もしくは5年以上の懲役
嘱託殺人:6月以上7年以下の懲役または禁錮
患者の承諾などの「被害者の同意」というのは、犯人の行為の違法性を排除します。犯罪として定められた行為類型に該当するけれども、同意によって、行為の違法性が欠如するため、結果としては犯罪が成立しないこととなります。
今回の事件のような場合、後述しますが承諾があっても許容されない場合があることや、SNSで出会い主治医ではないことといった事件性が疑われるので逮捕されています。違法性についても基本的には裁判所の認定です。詳細はわかりませんので認定次第ではありますが、今回の事件は、患者本人の明確な意思があるようなので執行猶予となるのではないかと思われます。
さて、「安楽死」とは、人が死に際での苦痛を回避するため生命侵害の行為をすることで、
「尊厳死」とは、人としての尊厳に反した状況を回避するために生命侵害の行為をすることです。端的に言えば治療中止です
両者は、生命侵害行為を行う目的が違います。痛みを避けるのが安楽死で、快復の見込みがない場合に延命治療を中止するような場合を尊厳死としています。
安楽死の場合はいくつかのパターンがあり、端的に生命を絶つものを直接的安楽死、積極的安楽死と言います。苦痛の除去・緩和のために投薬を変えたり減らしたりする場合は、間接的安楽死、消極的安楽死といいます。ペンタジンやモルヒネといった強力な痛み止めを使う事で死期が早まるような場合です。
純粋安楽死:苦痛を緩和させるのみ死期を早めない
間接的安楽死:緩和措置の副作用として死期が早まる
消極的安楽死:延命措置の中止
積極的安楽死:生命を短縮させる
尊厳死:生命維持行為すらやめ、自然死させる
もっとも、病や治療法によっては、延命措置を中止する行為でも直接的安楽死に含めて考えられることがあるため、尊厳死との境はわりとあいまいだったりします。
本人の利益のため、例外的に認められる措置である。
「安楽死」は、本人の利益のため例外的に認められる措置なので、患者本人の同意が必要です。
間接的安楽死の場合は、同意があれば原則、許容されると考えてよいのですが、
直接的安楽死の場合、端的に殺害するわけですから、同意さえあれば、あらゆる状況においても許されてよいのかは、一度立ち止まって考える必要があるかもしれませんので
どこまで許容されるべきか?
今回の事件もここが論点になるわけです。
裁判例では、確立した考えが示されていませんが、非常に厳格な態度でして肯定したものはありません。したがって、実際には、有罪とした上で執行猶予がついたりします。
実際の裁判例をチェックしてみますと、
名古屋高判昭37.12.22では、以下6つの基準が示されており、この6つの要件をすべて満たせば犯罪不成立としています。
1.現代医学において不治の病で死が目前であること
2.苦痛が甚だしく見るに忍びないこと
3.もっぱら苦痛の緩和を目的とすること
4.本人の明確で真摯な承諾があること
5.医師によること
6.方法が倫理的に妥当であること
この裁判例では、牛乳に毒薬を混入して飲ませる方法が倫理的に許容できないとされています。
一方、横浜地判平7.3.28によれば、
以下4つの基準です。肉体的苦痛でよい点と、患者の承諾が若干緩やかになったなという印象です。
1.肉体的苦痛に苦しんでいること
2.死が避けられず死期が目前に迫っていること
3.方法を尽くし、ほかの手段がないこと
4.患者の明示の承諾があること
このようになっていまして、明確な意思表示については家族の意思表示から患者の意思を推定することを許容しています。
いずれにしても、「自己決定権」が重要な意味を持つ場面ですので、まだまだ未熟な医療現場における終末医療の文化が形成される必要があるかもしれません。
ただ、もし主治医であれば直接的安楽死は肯定しがたいと思いますし、家族や周囲の者は生きてほしいというかもしれません。そんな中で苦しんだ本人がSNSで医者を探すという点はとても大きな意味を投げかけているように思います。