なぜ経済活動の自由はわからないのか?わかりやすく解説

経済活動の自由がわからない原因とは

これは、経済活動の自由の背景にある事案を見落としているからです。

経済活動の自由を考えたり、とくに有名な判例を読む際に、ある視点が抜け落ちています。

そのため、判例を読んでもよく理解できず、フレーズを覚える対策にならざるを得ず、応用ができないわけです。

そして、残念ながら背景事情まで言及している本がなく、説明が十分なされていないからわからないのです。

経済活動の自由の背景とは?

背景事情として、

まず、どういう人が権利を主張しているのか?

そして、次にどういう規制がかかって権利を制約しているのか?

という点を抑える必要があります。

経済活動の自由に関する判例で想定される人

・ 経済活動の自由を主張する人 …個人でも、強力な存在

・ 営業規制で守られている人 …大規模でも弱者

じつは、このような特徴があります。

経済活動の自由を主張する人というのは原告になりますが、新規参入を企てる資本を持っており、市場において強い存在です。

これに対して、経済活動の自由を制約している営業規制によって、守られている人たちがいます。

彼らは、個人ではなく複数で時には団体だったりしますが、市場においては斜陽産業だったり自由市場になじまない業種だったり市場において弱い存在です。

そのため、営業規制によって参入障壁をつくり、新規参入を防いでいるという構造になっているのです。

経済活動の自由は、国家の代理戦争

憲法問題とは、本来、「国家」対「個人」です。

ところが、じつは、経済活動の自由の判例においては、「個人」対「個人」なのです。

いいかえると、「経済主体」と「経済主体」のいずれを優先しいずれを劣後するかという論点なのです。

この対立に「国家」が介入しているという点を抑える必要があります。

経済活動の自由の制約のしくみ

「経済的劣位にある者の保護」というようなことばがでてきますが、これは「既得権益を守る」というロジックです。

「社会経済政策の実施をする」ということは、既得権益を守るための法律をつくるということです。

そのため、合理的規制とは、新規参入を防ごうという意味になります。

小売市場の規制、薬局の距離制限、白タクの許可制、酒類販売の免許制すべてそうでしょう?

判例で最初にでてきたのは、「小売市場の規制」です。

» 

これは、小規模産業を守るために考えだされた理屈でした。

市場経済においては品質などよりも安ければ安いほどいいという消費者が最優先されることは誰もが理解しているところでしょう。

これをかっこよくいえば「ビジネス」です。

しかし、これに馴染まない産業も当然あるのです。

規制によって保護すべき産業

とくに1次産業で考えると顕著でわかりやすいです。

日本の農業などは強く国に保護されていますね

1次産業は、自由競争市場であるビジネスとは相性がとても悪いです

ビジネスに任せるとおそらく死にます。

安価な海外商品が出回ったり、現場の職人の人権侵害だったり、

でも、生産・流通・消費のプロセスを経る以上、これも「ビジネス」であることは避けられません。

さらに、世の中が豊かになるにつれ、国家の経済介入はしない方向へ価値観がシフトしていきます。

規制緩和、自由市場に任せる、放任主義、小さな政府ということです。

これがリアルな世界観ではあるのです。

小売市場事件とは?

経済活動の自由について判断した「小売市場判決」があります。

これは、一次産業ではないですが、to Cで日用品を扱うため、変化に対する感度が非常に高い産業です。

古い時代でしたので、まだ自由市場の競争が無かったところに、急速な変化が訪れます。

そうすると、既得権益を守る必要がでてくるというわけです。

時代背景と既得権益の保護

この事件の時代背景は、昭和47年(1972年)です。

だいたい高度経済成長期の末くらいです。

判決が出たのがこのときですから、紛争の発端はもう少し前、ちょうど高度経済成長期中期となるでしょうか。

経済成長をしていく中で、小さな個人経営店が参入し乱立していくこともありますし

多国籍企業や複合企業が台頭し始め、大きな資本で小さな事業者を束ねて、乱立していくこともあります。

そうした、混乱状態の中で、既存事業者である小さな個人経営店などが潰れていくそんな時代背景でした。

小さな産業もビジネスの例外ではなく、顧客が減れば廃業するしかありません。

これに対し、時代の変化の影響を受けず、ビジネスから保護されているものがあります。

薬・医者・法といった専門職です。

そう、これが、許可制、免許制です。

なぜかというと、「生命や身体といった重要な権利」を扱うからです。

これを市場に任せると、社会秩序が保たれないであろうというところにあります。

国家による規制

さて、このような許可制・免許制というのはどこかで見覚えがありませんか?

そう、「消極目的規制」です。

あれ?と思いますね。積極目的について判断したとして有名な判例なのにまず消極目的がでてきました。

「消極目的規制」というのは、目的二分論が出てくるまでもなく、昔からあるきわめて自然な考え方です。

原則といってもいいです。

だからこそ、判例でも論点になるのが、積極目的の方ばかりで、消極目的規制があまりでてこないのです。

人権(経済活動の自由)に対する当たり前の制約だからです。

やりたいといってるからといって簡単にはできないものなのです。

「生命や身体といった重要な権利を守るために経済活動の自由を制約できる」ことは自然なのです。

問題は、やはり、「弱い産業を守るために経済活動の自由を制約できるのか?」なのです。

純粋なビジネスであれば市場に任せると品質が落ちそれがダイレクトに国民の安心と安全に影響することは容易に予測できます。

また、小さな個人を保護したいという価値観もあるのでしょう。

近くに大型ショッピングモールができるから、店をたたむ

活気のあった商店街がいまでは閑散としたシャッター街という虚しさはよく描写されます。

「うちは小さい店だから。もう十分長いことよくやったねえ。」
「…ばあちゃん。」

ビジネスなんだけど、保護して市場に任せないようにしたい。

そのため「法律」をつくる。

これが積極目的規制であり、このような規制は「既存事業者を保護する規制」として機能するのです。

反対の視点とは?

しかし、これでは既得権益の保護でもあります。

「新しく新規参入できないのでは、経済活動の自由が奪われている。」

外資チェーン店が、有名コンビニエンスストアが、ショッピングモール開発を目論むデベロッパーがこのように言います。

既存事業者を保護する法令は違憲だと。

業種によっては、利益団体があって政治に交渉してロビイングすることもあります。

「へへへ。なんとかなりませんかね。」と。

こうして、頭をひねります。

どうしたら法律を残せるだろうか、法律を許すためのロジックはないだろうか?

消極目的でない分野は守れないのです。

つまり、それだけ、「経済活動の自由」は強いです。

でも既存事業者は、経済的に弱くほそぼそがんばっている

なんとかしてやりたい

この葛藤は、理由のところにあります。

「経済的劣位に立つ者を保護するために合理的規制を講じることができる」

このワンフレーズの意味は重いのです。その先は、法律論では説明できません。

なぜなら、「同じビジネスなんだから」

外資系だろうと超大手だろうと個人経営だろうとさおだけ屋だろうとみんな同じ経済主体。

同じ経済的自由です。

でも、いや、同じわけないだろと思いませんか。

保護したいという気持ちはわかりませんか。

これはセンシティブな価値観の対立で、政策の問題でなければ解決できません。

簡単に司法が判断してはどちらかにお墨付きを与えてしまうのです。政府の判断で解決するべきなのです。

こうして生まれたのが、積極目的規制を許すための論理です。

「立法府の裁量にゆだねられるから、著しく不合理でない限り、違憲ではない。」

そして、距離規制、許可制が問題となり、消極目的規制を許すための論理を示したのが、薬事法判決

免許制が問題となり、消極目的規制を許すための論理を示したのが、司法書士事件

なお、このような慎重な裁判所の判断からもわかるように、経済活動の自由は精神的自由と同じくらい重視しています。

判例の立場では、気軽に二重の基準論は妥当しません。とても有名になっていますが、ただの芦部説です。

ということで、

経済活動の自由は保障されるはず、でも、完全自由ではまずい

でもどうやってそれを説明して経済的自由を制約すればいい?という規制を許すための論理をどうたてるのかという論点でした。

お読みいただきありがとうございました。